漢代(かんだい、紀元前202~220年)の碁盤は、17路5星盤でしたが、次の随代(ずいだい、581~618年)以降になると、19路5星盤に変化しますが、今から100年ほど前まで、5星(花点)のままでした。その碁法、様式は、互先事前置石法という、対局前に4隅の相対する星(4の四)に白黒各2子を交互に置き合い、第一手は白石から打ち始めるものです。呉清源(ごせいげん、九段、中国)、1914年(大正3年)~氏の話によれば、事前置碁制で打ったことがあり、棋譜も残っているとのこと、また、来日した1928年(昭和3年)頃の中国では、まだ事前置碁制の対局が行われていたそうです。
忘憂清楽集(ぼうゆうせいらくしゅう、 上 肆聖囲棋之図、丸山応震筆、日本棋院蔵 中 忘憂清楽集 一巻、 宋李逸民撰 中華書局 1982 影印本三冊、日本棋院蔵、下 世界最古の囲碁対局、 白先孫策 対 呂範、1~43手 打ち掛け、google画像)
(解説) 古代、中国では、貴人、上手が黒を持ち、白から先に打ちました。そこで、孫策が黒、呂範が白を持って打っています。呉清原氏の解説によれば、白21と三々に入ったのは軽妙で注目される。ただ白39は甘く、黒40とえぐられてはつらい。したがって、白39では40と抑えて、黒38の一子は抵抗できない。総体的に見ると白の打ち方が良い。白の方が強く、呂範は当時一級の打ち手であったかも知れない、とのことです。
最古の棋書(中国)は、李逸民(りいつみん、棋待詔、きたいしょう、国手)編、忘憂清楽集(ぼうゆうせいらくしゅう、中国国家図書館秘蔵)で、北宋の徽宗(きそう、8代皇帝、在位、1100~1125年)、1082年(元豊5年)~1135年(紹興5年)時代の著書と言われています。書名は、皇帝の次の詩句によって命名されました。
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